仏教なるほどゼミナール「彼岸」

イチロ「あついー。今年の夏はどうしちゃったのかな」
ナオキ「記録的な猛暑が続いて、倒れる人も沢山いたようだね」
マサコ「まだまだ残暑は厳しいようね」
イチロ「あー、もう! プールに行こう、プール!」
ヒカリ「まあまあ。あともう少しの辛抱でしょ。『暑さ寒さも彼岸まで』って言われるもんね」
タツキ「そうか、もうすぐお彼岸だね」
イチロ「あん? ヒガン? なんだそりゃ」
ヒカリ「だいたい春分の日と秋分の日ぐらいを、お彼岸と言われるわね」
イチロ「ああ、祝日のことか。学校が休みになって遊べる日を「彼岸」と言うんだね!」
ヒカリ「違うと思うんですけど……」
ナオキ「えーと、その頃になると、「お彼岸だから墓参りをしよう」とよく言われるよね」
タツキ「お彼岸には毎日香」
イチロ「墓参り? 寺となにか関係があるのかね?」
先生「おほん。彼岸とは、仏教から来た言葉なんだよ」
イチロ「あ、先生!」
先生「うむ、春分の日と秋分の日を中日として、その前後7日間を彼岸と言うんだ
マサコ「春の彼岸のころに咲く桜を彼岸桜と言いますね」
ヒカリ「秋の彼岸のころ咲くマンジュシャゲの花を、彼岸花とも言われますよね」
タツキ「きれいな花だね」
イチロ「それと仏教と、何の関係があるのですか?」
先生「うむ。「彼岸」とは「彼の岸」ということ。「向こう岸」のことだ。つまりこれは、悟りの世界、阿弥陀仏の極楽浄土のことを言うんだよ
イチロ「向こう岸、ですか」
タツキ「「向こう」があるなら、「こっち」もありますよね」
先生「そう、彼岸に対して、私たち人間の生きている世界を此岸と言うんだ」
ヒカリ「こちらの岸、ということね」
先生「そうだね。娑婆世界とも言う」
マサコ「娑婆については、以前このゼミナールで勉強しましたね」
ナオキ「そう、娑婆とは、堪忍土のこと。いろんな苦しみ悩みをこらえ忍びながら生きてゆくのが、この世界という訳だね」
イチロ「そう、暑い日差しの中でも、ガマンして生きねばならない。あちー」
先生「そんな苦しみ悩みの世界(此岸)に生きている私たちが仏法を聞き、阿弥陀仏に救われれば、いつ死んでも極楽浄土(彼岸)へ必ず往ける身となる。大安心、大満足の絶対の幸福に生かされるんだよ」
タツキ「へえ、なるほど」
イチロ「でもさあ、それと春分の日・秋分の日とは、どんな関係があるのさ」
タツキ「いわれてみれば」
先生「ふむ。その日は、昼と夜の長さが同じになる。つまり、太陽が真東から上って、真西に沈む日なんだ」
イチロ「へえ、そうなのか」
先生「お釈迦さまは『阿弥陀経』というお経の中に、阿弥陀仏の極楽浄土は西の方、十万億の仏の国を過ぎたところにある、と説かれている。つまり、西は、西方浄土のこと。阿弥陀仏の極楽浄土をあらわしているんだよ」
タツキ「ふうん」
先生「そこで、真西に沈む夕日を通して阿弥陀仏の極楽浄土を念じ、早く本当の幸せの身になれるよう、仏法を聞くご縁にしたことから、この時期を彼岸と言うようになったようだね」
ヒカリ「そういえば、このころには「彼岸会」といって、寺で法話がよくなされているようね」
イチロ「ヒガンエ?」
先生「仏教で人が集まる行事を「会」と言うんだ。彼岸のころは、ちょうど暑くもなく寒くもない、過ごしやすい時期だ。どうだい、仏教を学ぶのにも、いい季節だよ」
イチロ「そ、そうですね」
ナオキ「では、ビーヤング彼岸会を行いましょう」
タツキ「おお、いいですな」
イチロ「あ……でも、僕はプールへ行こうかと……」
ヒカリ「そういえば、春のお彼岸にはぼたもち、秋のお彼岸にはおはぎを仏様にお供えして、いただく風習があるみたいね」
先生「よし、大サービスで、たくさん用意しておこう」
イチロ「何、おはぎがたくさん! 行く行く、彼岸会、大好き!」
ヒカリ「調子いいんだから、もう……」
(おわり)

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