仏教なるほどゼミナール「有り難い」

タツキ「やってきました北の大地、北海道。いやあ、心まで広くなった感じがするなあ」
イチロ「いやー、タツキ君のおじさんが北海道の農家とは知らなかった」
タツキ「ふっ。人生に少し疲れた時、やすらぎを求めてぶらりと来るんだ」
イチロ「もしもーし。大丈夫ですかー?」
おばさん「ちょうど、とうもろこしの収穫時期なんだよ。さあ、これをおあがり」
タツキ「うわあ、こんなにたくさん。ありがとうございます」
イチロ「さすが北海道。もらえる量もでっかいどー」
おばさん「そっちのは、もう湯がいてあるから、すぐに食べられるよ」
イチロ「うひょー、こりゃうまそうだ。さっそくいただき〜」
タツキ「こらこら、きちんとお礼を言いなさい」
イチロ「う、そうか。あ、有り難うございます」
タツキ「『有り難う』いいひびきだね。なにしろ、一番美しい日本語が『有り難う』だと言われるからね」
イチロ「へえ、そうなの?」
おばさん「さっきから、どうしたの?タツキ君」
ナオキ「確かに、『有り難う』って言われると、なんだか心あたたかくなるよね」
タツキ「そう。既に千年の昔から、枕草子などにも『有り難い』と書かれてある、歴史の古い言葉なのです」
おばさん「よく知ってるね〜」
イチロ「えーと、それがなんだかよく分からないけど、とにかく昔から使われているんだね」
先生「そう、2600年前のお釈迦さまも使われたとも言われるからね」
イチロ「うわっ、先生!」
タツキ「へえ、それは知りませんでした」
先生「うむ。漢字で書くと分かるように『有り難い』とは、『有ることが難しい』『有ることがまれだ』『めったにない』という意味から来た言葉だ」
イチロ「ふむう」
先生「これは、お釈迦さまが説かれた雑阿含経というお経の中にある、一つの例え話の中で出てくるんだ」
タツキ「どんな例えですか?」
先生「よく聞いてね。ある時、お釈迦さまがお弟子に尋ねられた。
お釈迦さま「お前は、人間に生まれたことを、どう思っているか」
阿難「はい、大変よろこんでおります」
お釈迦さま「では、どれくらい喜んでいるのか」
阿難「どれくらいとおっしゃっても……ええと」
先生「ここで釈尊は、盲亀浮木の例えを説かれた」
お釈迦さま『たとえば、大海の底に一匹の目の見えない亀がいて、百年に一度、波の上に浮かびあがるのだ。ところが、その海に一本の丸太が浮いていて、その木の真ん中に一つの穴がある。百年に一度浮かぶこの亀が、ちょうどこの丸太の穴に頭を入れることが一度でもあるだろうか』
阿難「そ、そんなことは考えられません」
お釈迦さま「絶対にないか」
阿難「それは、何億年、何兆年もの間、浮かんだり沈んだりを繰り返すうち、ひょっとしたらあるかもしれませんが……」
お釈迦さま「そうだろう。全くないとは言い切れない。よいか、私たちが人間に生まれたということは、今のたとえよりも、更に有ることが難しい、有り難いことなのだよ」
阿難「!!」

タツキ「なるほど、ここでお釈迦さまが『有り難い』とおっしゃったのですね」
先生「そうだね」
イチロ「それにしても、人間に生まれるということは、そんなに難しいことなのですか?」
タツキ「いやー、びっくり」
先生「そうだよ。よく考えてごらん、この地球上には、何百万という種類の動物が生息していると言われる。その中の一種であるネズミだけでも、どれだけいると思う?
海を泳ぐ魚は、どれだけいるだろう。」
イチロ「一回で三億もの卵を産む魚もいたよね」
先生「まして、アリやバッタなどの昆虫になると、もう数えきれないほどいる。その中の一匹に、自分が生まれていたかもしれない。だから、お釈迦さまが教えられる通り、人間に生まれることは、有ることが難しい、有り難いことなんだよ」
タツキ「それは喜ばねばならないことですねえ」
おばさん「しかし、自ら命を絶つ人もいる。人間に生まれたことなんて喜べない、かえって人間に生まれなければよかったと思っている人たちなんだろうねえ」
タツキ「おまけに、そんなに大切な命だと分からず、簡単に人を殺してしまうニュースもよく聞くよね」
先生「ううむ、本当に悲しいことだ。人の命は地球よりも重い。辛いからといって自分の命を捨てたり、まして他人の命を奪うことなど、絶対にしてはならない。いいかい、仏教では、人間にしかできない、とても大事なことがある、それを果たすための、大切な命なんだと教えられているんだよ」
イチロ「そ、その大事なこととは何ですか」
先生「それこそ、何のために生きるのか、生きねばならないのか、という人生の目的だ。いいかい、お釈迦さまは『人身受け難し 今すでに受く 仏法聞き難し 今すでに聞く』と教えておられる。 『人身受け難し 今すでに受く』とは、人生の目的を果たし、生まれ難い人間に生まれてきてよかった、という生命の大歓喜を言われたものだ」
タツキ「その人生の目的が、仏教に説かれてあるのですね」
先生「そう。だから、聞き難い仏教を聞くことができて、本当によかったと喜べる。それが『仏法聞き難し 今すでに聞く』ということだね」
タツキ「なるほど」
イチロ「うーん。人間に生まれることはとても有り難いことは分かったけれど、『有り難う』という言葉は、どうしてお礼や感謝の言葉として使われるようになったのだろう?」
先生「ふむ、詳しいことは分からないけど、欲いっぱいの私たちが、善いことをするのは、なかなかできないことだ。他人から何かもらったり、親切にされるのは、有ることが難しいことだとも言えるだろう。だから、『有り難いことをしてくださいましたね』という気持ちから、『有り難う』と言うようになったのかもしれないね」
イチロ「ふむう、なるほど」
ヒカリ「ところで、とうもろこしがまだまだ沢山あるわよ」
ナオキ「いやあ、とれたては甘くて、とてもおいしいね」
おばさん「どら、今夜はみんなにおいしいトウキビ料理をごちそうするとしようかね」
ナオキ「うわあ、やった!」
イチロ「あ、有り難うございます!」
ヒカリ「調子いいんだから」
(おわり)

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